アカデミ・ユニヴァーサル・
デュ・カスレ
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カスレを中心にひとつにまとまろうと、カスレ世界アカデミーの創設者らを駆り立てた理由を理解するには、歴史的な説明が必要であるように思われる。このためには、1989年に書かれた“カスレへの頌歌”を参考に読まねばならない。“オック地方のごちそう”の中で、プロスベール・モンタニエが書いたもの(1929年)を知っておくこともぜひ必要である。


オック地方の美味なるもの、カスレ

カスレはオック地方料理の神である。それも三位一体の神である。父なる神はカステルノダリーのカスレ、子なる神はカルカッソンヌのカスレであり、聖霊はトゥールーズのカスレである。

このラングドック料理の起源は、美食の歴史の中でもかなり大昔にさかのぼる。しかし、料理史研究家の中には、インゲン豆がヨーロッパに持ち込まれたのは新世界の発見後であることから、カスレの起源は15世紀であると主張する者もいる。

歴史よりも伝説を重視する別の料理史家は、クリストフ・コロンブスによるアメリカ大陸発見よりもかなり前からフランスにはインゲン豆があり、特にこの国の南西部では非常に豊富であったと断言している。

いずれにせよ、カステルノダリーに伝わる民間伝承の伝説が、これらの歴史家の方が正しいことを証明しているように思える。

この伝説によれば、カスレの起源は1492年をだいぶ遡る百年戦争の時、すなわち1337年から1453年の間という。当時、カステルノダリーを包囲していたイギリス軍を前にして、インゲン豆入りの<エストファ(蒸し料理)>が初めて作られた。これに後に多少の変更を加えて、ラングドック料理の誇りである有名な<カソレ>となった。

この素晴らしい料理がいかにして作り出されたか、その経緯は同じくこの伝説によれば次のとおりである。

この町のプレヴォ(地方行政官)は包囲された兵士を勇気づけようと、住民が持ち寄れるあらゆる食糧で作った美味しい一皿料理の食事を食べさせてから、敵に猛攻勢をかけさせたいと考えた。

包囲された町の倉庫には、大量のインゲン豆がのこっていた − これはアメリカ大陸発見以前であるのを忘れてはならない。守備隊の料理人は、これらインゲン豆を使って生や塩漬けの豚、羊、鵞鳥、ソーセージなど、さまざまな肉汁の栄養を加えた蒸し料理を大量に作ることが出来た。これは間違いなく美味であったろう。

カステルノダリーの人々は言うまでもなくありとあらゆる地酒とともに供されたこのごちそうをたらふく食べた。そして、イギリス軍に突進する時になってやっと食卓を離れたが、もちろん突進する前に砲弾を大量に装鎮したカルヴァリン砲を爆発させないわけはなかった。

群集は猛り狂い、爆発音は非常に恐ろしかったので、攻囲軍はパニックに陥った。この町にはその時まで知られていなかったものすごい大砲があるのだと考えて大急ぎで退却し、イギリス海峡沿岸を前にしてようやく足を止めた、とカステルノダリーの伝説は語る。

ある歴史家によれば、カスレの起源はさらに昔にさかのぼる。7世紀にアラブ人がカルカセにインゲン豆の栽培を持ち込んだ。当時は<白いソラマメ>と呼ばれ、この豆を使って<白いソラマメ入りの羊の煮込み>の作り方をこの地方の住民にアラブ人が教えた。これぞまさしく現在のカスレの祖先と思われる、と彼らは述べている。

さかのぼること7世紀か15世紀に作り出されたカスレは、オック地方料理の最も特徴的なものである。多くの南仏の詩人がこれを歌った。以下はカスレの栄光を歌ったオック地方の詩である。これは前世紀中頃に無名の作者によって作られたにちがいない。